HS01, 梅田 – Umeda –

  • 神戸三宮から約31分
阪神電車唱歌より9206
  #1  大阪城の 松よりも                    #2 賑ふ旅客の 出入橋
           栄えは尽ぬ 大阪市                       過ぎて波風 福島は
      めぐる 電車を乗りかへて                  義経 平家を討たんとて
           出で立つ梅田の 停留場                   船揃えせし 港の地
  • うめだジマン

    ・ 言わずと知れた西日本最大の繁華街
    梅田 : 湿地を埋め立て田畑を拓いた埋田は有名ですが、梅は単に当て字ではなく綱島天神社境内の紅梅を由来とするようです。

  • にわかっく阪神

    ・  阪神梅田駅の変遷
    1905年4月、出入橋駅を大阪側の終点として開業を迎えます。当初は上福島までの計画を、国鉄大阪駅に近づけるべく出入橋まで敷設しました。
    一方、国鉄大阪駅(初代)は阪神線開業前の1901年7月に二代目となり、東に約200m離れた場所に移動、結果二駅間は約500m離れてしまいます。
    これを追った出入橋~梅田の特許を1903年に出願しますが敷設は開業に間に合わず、この延伸(梅田駅開業)は1906年12月まで待つことになります。 この延伸区間は仮線という名目の上単線での特許取得となりました。
    1914年に仮線部分を複線化の上、駅舎も設け梅田駅として開業します。
    1939年には梅田駅が移転・地下化され悲願であったアクセス等利便のよさを”梅田のどまんなか”に手に入れます。
    その後、1948年には戦災で休止していた福島駅の再開と引き換えに出入橋駅は廃止されました。

さて、どうして梅田延伸が当初”仮線”で”単線”だったのでしょう?
阪神線の特許出願については当時、逓信省鉄道局は並行路線の敷設は利益を害するとの考えで許可を出さず、軌道条例に基づいて内務省側から攻めたお話は有名ですね。 結果として軌道敷設の特許は下りますが、それでも鉄道局側は決して快く考えてはいなかったことでしょう。

出入橋-梅田間は複線を予定していましたが、土地の都合借地となる計画でした。用地使用願を出願しますが、そこは逓信省所管の鉄道用地であったため”拒絶”されます。
“仮線”で”単線”となった理由は恐らくここにより、妥協点として仕方がなかったのでしょう。
一方、阪神は梅田~堂島あたりの市内循環線を計画し、当初大阪市と、後に大阪市・京阪と協議を進めますが難航し、一度目は阪神が辞退、二度目は大阪市が辞退します。 このときに大阪市の辞退と引換に出入橋-梅田間の専用軌道敷設の許可を取り、1914年に複線化を果たします。

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