HS06, 千船 – Chibune –

  • 梅田から約10分 / 神戸三宮から約34分
阪神電車唱歌より9206
  #3  浦江の菜種 野田の藤
           新淀川の 秋の月
      稗島、大和田、神崎の
           西の川岸には 佃あり
  • ちぶねジマン

大和田城 :織田信長の命により築かれたとされています(築城主不明)。付近には大阪(難波橋)から尼崎(尼崎市東端)を結ぶ大和田街道が通っていますが、これは京都と西国街道を結び道でもあることより、交通上重要な要衝であったことが伺えます。また大和田街道は梅田街道・大阪道とも呼ばれます。
田蓑神社 : この神社にある狛犬の一つは大阪府内で最も古いものとされています。また神社が所在する佃は漁業が非常に盛んな地域でした。
大阪・佃と東京・佃島 : 1582年、織田信長は本能寺の変で倒されますが、この時徳川家康は信長との会合を控え大阪・堺にいました。信長の死を知った家康は大阪からの脱出を試みます。
このとき佃の漁民達も渡し船を出し、白魚などをを献上して家康に救いの手を差し伸べたとされます。これに喜んだ家康は後年、佃の漁民達を江戸に呼び、移住先の島や全国での漁業権を与えます。その島は佃島と名づけられ、上記田蓑神社と同じ住吉三神を祭った住吉神社が建立されます。この移住の前後に佃の漁民達が非常食として考案したものが”佃煮”です。また、この頃から行われていた佃の漁民達(江戸)の徳川家への白魚の献上は現在もなお行われています。

  • にわかっく阪神

ミカミ : つり手で有名な三上化工材㈱はここが最寄り駅です。
駅の統廃合 : 大和田駅・佃駅を統合して千船駅になりました。
大物-姫島間立体交差化工事 : 列車密度が最も高い区間で用地も限られていたために大変な難工事となったようです。

・ 仮線の切替は20回以上に及んだ
・ 千船駅周辺は用地の制約に加え待避設備があったこともあり複雑な手順が採られました
→使用線路の真上を跨いで高架を構築した
→上り線の、仮地上線では待避線を駅間に設け(千船信号場)、高架切替直後は現1番線の外側に本線、現1番線の少し内側に待避線があった
前者では待避列車は駅間で通過待ちを行ったようですが、後者では本線・待避線の間にはホームがなかった(通過線)ことになりそうですね。

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